メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第36号
☆我を矯める
地獄の一丁目に餓鬼地獄というものがあります。餓鬼という地獄は、「欲しくて欲しくてたまらない…けれども得られないことで苦しみを体験している」地獄です。
このことは、たいていの場合、食べ物で象徴されます。ですから、みんな飢えているのです。飢えているうちに、だんだんと身体も変化してきます。
がりがりにやせ細っているのですが、お腹がぷーとふくらんで、目はくぼみ、髪の毛も抜けて、なんともおぞましい姿になってしまいます。
この地獄の住人は、とにかく食べ物を探してます。食べ物はあるにはあります。
ただし、その量が少ないので、それを多くの人が、群がるようにして「自分のもの」にしようとします。そこには争いが起き、殺し合いをしています。
たった一つの果物をめぐって、取り合いが行われるわけです。そして、たいていの場合、強い者がその食べ物を得る、ということになりますが、たまにはどさくさにまぎれて、横取りをしていく者もいます。
ところが、そうしてやっとのことで、食べ物を得ても、彼らは決して満足することができないのです。
食べようとして口に入れようとした瞬間に、ぼっと炎になってしまったり、すーっと消えてしまったりします。
必死の思いで得た食べ物ですから、とても悔しがるわけですが、そうなったらまた新たな食べ物を探すしかありません。
また、時には人間を食べてしまうこともあります。どうしても食べ物がない、ということで、その欲を抑えきれずに、「あの人間を食べてしまおう」と襲って、腕なり足なりを食べています。
でも、もとより死んでいますので、食べられた側も程なくもとの姿に戻りますので、その姿を見て、「さっき食べたのに…」と、結局満たされない状態が続くわけです。
ここには、「人のために何かをしよう」などと考える人は一人もいません。みんな自分勝手です。
「自分が食べられればいい、自分がよければいい」と、そのことだけを考えています。だから結局いつまでも満たされないのです。
結局、「一つの食べ物をみんなで分けて食べよう」、などと考えたり、「自分が自分が…という姿がいかに醜いものであるか」、ということが分かるまで、この世界から抜け出ることはできません。
餓鬼地獄の住人の姿も、結局はその住人の心が姿として現れています。だから醜い姿になっているのです。
これが、餓鬼地獄の様相です。「欲しい欲しい…」という思いが強くなり、「自分が自分が…」としか考えられなかった人の世界である、と仏教では教えています。
生きていく上で戒めになるであろうと思います。
人間には『我』というものがあります。「自分さえ良ければいい」というわがままな心です。やはりこれは抑えなければなりません。
このことを『我を矯める』と言います。そうした「道を外れた心を正す」、という意味です。自分が自分が…という思いが強くなってきたと思ったら、餓鬼地獄のことを思い起こしてください。
そしてその時に、地獄に住む人の醜い姿は、その人の心そのものである、ということも思い起こしてください。
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