メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第44号
☆見返りを求めたとき、愛は死ぬ
家庭の中で、親や目上の人から何か頼まれごとをしたときに、とっさに「いくらくれる?」と言ってしまう人、いませんか。
そんな時に、大人は悲しくなります。「気持ちよく頼まれごとをやってよ…」と思うのですが、ぐっと気持ちを抑えて、「しょうがないなぁ…」などといくらかの小遣いをくれることがあるのかも知れません。
でも、この行動は間違っています。「気持ちよく手伝ってくれてありがとう。
本当に感謝してるよ。これで好きなお菓子でも買いなさい…」という形ならばいいと思うのですが、自分から見返りを要求し、もしその報酬が自分自身にとって不満であるならば、
頼まれたことはやらない、また、たとえやったとしても不平不満の中で、いやいや行う中には、素直な気持ちはありません。
純粋さがありません。頼んだ人も感謝の気持ちが湧きません。そればかりか、嫌な気持ちになります。お互い気持ちよくありません。
立場を変えて見たらわかります。君たちが、幼稚園生くらいの親戚の従弟と公園に行ったとします。
遊んでいるうちに、最初にいた場所にバックを置いたままにしていたことに気づいた君が、
「そうだ、バック取ってきてくれる?」と、その子供にお願いしたとしました。このとき、「はーい」と取ってくるのが普通でしょうし、
君たちもそれを期待します。ところがその時、「いくらくれる?」なんて言われたら、君たちだってガクッてくるでしょう。恐らく君たちの誰もがそう思うはずです。
こうして立場を変えた話ならばわかるはずです。つまり、大人たちは、君たちをそう見ているということなのです。
こうしてお金をもらった時は、奉仕的な行為ではありません。ギブ・アンド・テイクです。
仕事をした人は、「人のために何かをした」と思うかもしれませんが、このような見返りを求めた心は、「人のためではなく、自分のため」なのです。
その後、たとえ心を込めて仕事をしたとしても『愛』とは言いません。本当の『愛』ではありません。『愛』とは、見返りを求めない心です。
相手が喜ぶことを、相手のためになることを、心を込めて行おうという気持ちです。相手の幸福を、心から底から願ってやまない心です。だからギブ・アンド・テイクは『愛』ではないのです。
『見返りを求めたときに、愛は死ぬ』という言葉があります。まさにその通りだと思います。心を込めて、無報酬で、相手のためにと思う心が『愛』なのです。
そうした気持ちを持ち続けると、そのこと自体が「嬉しい」と感じられるようになります。「ありがたい」という気持ちになります。
そんな時、相手は感謝の気持ちを表すことになりましょう。その結果、何らかのお礼をするかも知れません。
でもその前に、そのお礼を期待したり、対価を求めたり、報酬を求めたりしてはいけません。君たちの中にも以前、「だったら頼まないよ」と大人から言葉を荒げられたことがあったのではありませんか。
見返りを求める心は醜く見えます。『愛』とは正反対の心です。
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