メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第122号
☆托鉢の意味
君たちは托鉢をしている僧侶を見たことがありますか。たまに、駅などで、チーンと鐘を鳴らしたり、何やら経文を唱えている笠をかぶったお坊さんが立っていることがあります。
彼らは一体何をしているか分かりますか。「何かの修行かな」というくらいは分かるかも知れませんが、その意味をはっきりと言える人は、恐らくは少ないであろうと思います。
托鉢の歴史は、釈迦存命中のインドまで遡ります。当時から僧侶は托鉢によって生計を立てていました。
人々は僧侶がやってくると、食べ物やその他いろいろな物を布施として釈迦教団に差し出したのです。その姿は物乞いのようですが、そうではありません。
人々は、「ありがたい教えを説いて下さるお坊さんたちが、生活に困るようでは、十分な修行ができないから、せめて自分たちのできることとして、
自分たちの食べ物やお金を差し上げようという感謝の気持ち」がありました。一方僧侶たちは、毅然とした態度で、托鉢を行っていたのです。
それは、『布施の機会を与えることで、人々に愛を与えている』という考え方があるからです。
「本当は惜しくてあげたくないかも知れないけれど、そうした食べ物やお金を差し出す(布施)ことで、物にとらわれている執着を取り去る」ということ。
さらには「人にものを与える中に、喜びを感じ、そのこと自体が心を清らかにする修行になっている」という面です。
釈迦は、「お椀を差し出すときに、無言のうちに彼らを導くことが大事なのだ。与えるという行為が、どれほどすがすがしいものか。
それによってどれほど尊い気持ち、どれほどうれしい気持ちになるか。お椀を差し出す行為のなかで、それだけのことを相手に悟らせなければならい」と説いたと言われています。
人に愛を与えることは非常に尊いことですが、なかなかできるものではありません。仏教では托鉢の行為の中にも、人々にそのよすがを与えていたのです。
今では托鉢も修行のための一つの行になっていますが、その精神は変わっていないはずです。いつか托鉢する僧侶を見つけたら思い起こしてください。
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