メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第145号
☆あたりまえのことですか?
『家庭でも学校でも、成績を上げるため何をおいても勉強第一で、朝起きればご飯はできている、弁当もできている。顔を洗って歯を磨いて、学校へ行って勉強し、
帰るとすぐ塾へ行って、その間にお母さんが掃除や洗濯をしてあげて、帰ってきて夕食。お風呂のしたくもできているから、お風呂へ入って、またすぐ夜遅くまで勉強をする。
毎日この繰り返し。だから掃除も洗濯もしたことない、親の手伝いもしたことない。必要以外のことは、両親とも先生とも話したことがない。親も自主性を尊重して、何でも聞いてくれる。
これがいまの子どもたちがおかれている実態ではないでしょうか。(中略)子どもがこのような環境で育つと、朝、何回も何回も起こしてもらえる。
お母さんは自分だって眠くて起きたくない時でも、早く起きて、朝食や弁当の用意をしてくれる。こんなありがたいことはないのに、それでもお母さんにありがたいという気持ちがおきなくなってしまいます。
なぜならこういう子供にとって、それはごく当然なことだからです。ご飯の支度をしてあったり、弁当ができているのは、水道の蛇口をひねると水が出てくるくらい普通であたりまえのことなのです。
あたりまえのことだという感覚しかないから、ありがたいなんていう気持ちなんかおきるわけもなくなるのです。』(
堀川たかし著『わが子に帝王学を』
より)
筆者はこれは「親子ではなく友達の関係である」と分析していました。
「いやなことはしなくてもいい。子供の意見も一人前の大人と同じように聞く」という関係は、間違った平等意識ではないか、と言うのです。確かにそのとおりだと思います。
子供の意見はある意味で、純粋な部分もあり、よく耳を傾け、そして尊重しなければならないものですが、すべてそれを取り上げ、そのとおりにすべきものではありません。
親には、大人としての視点、先を見据えた考え方、教育観があるからです。
また、『あたりまえ』だと思うところには、感謝の気持ちは湧いてきませんね。それに対して、『ありがたい』と思う気持ちは、何もかもが感謝の連続です。
人間は、究極は生きていること自体がありがたいと感じるものだ、とも聞いたことがあります。朝起きて、命があることがありがたい。
ご飯を食べることができることがありがたい。仕事があることがありがたい。友人がいることがありがたい…。
どうか、『あたりまえ』という思いではなく、『ありがたい』という思いに切り替えてください。世界が違って見えるかも知れませんよ。
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