メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第169号
☆きれいだね
君たちは「きれいだね」という言葉を聞いて、何を思い起こしますか。今の時期であるならば、春の訪れを感じさせる花々が咲き、桜のシーズンですから、満開の桜と答える人もいるかも知れません。
確かに、桜はきれいです。桜に限らず、梅だって、パンジーだって、花は何でもきれいです。そして、花に限らず、若葉もきれいですし、夕焼けや朝焼けの空、満天の星々、自然の雄大な景色、遠くに見える山々、海、川、湖…など、自然のありとあらゆるものは、きれいなその姿を私たちに見せてくれます。そして、その美しさは、私たちの心を和ませます。穏やかにします。時に感動を与え、見とれてしまうことさえあります。自然のあたり前と思われるその姿が、人間の心にとてもよい影響を与えているわけです。つまり、きれいなもの、美しいものは人の心を豊かにします。
ところで、きれいなものは自然だけでしょうか。人工物であっても、その美しさが見られることがあります。それが幾何学的な図形であるなしに関わらず、何となく心に残る何かを持っているという建物や、人工物があるのです。きっと、君たちも見たことがあるでしょう。それは人工物が自然物とそっくりだったり、またはそれを作った人、設計した人たちの思いが込められているのかも知れません。
また、きれいには、「心がきれい」というような使い方もします。純粋で、なんだか雰囲気が輝いて見える人を、「あの人は心がきれいだ」という言い方をします。親切な人を「心優しい人だ」と言いますが、心優しい人のことも、「心のきれいな人」と呼ぶこともあります。つまり、言葉と心が同じであって、語る言葉そのものが、その人の心の状態を示している人を、そう呼んでいるのです。
彼らの姿も、私たちに感銘を与えます。昨今、表と裏のはっきりしている人の多い中で、「心がきれいな人」は、本当に貴重な存在です。誰もが、「できれば、自分もそうありたい」と願う、理想の姿でもあります。
きれいな姿の自然、きれいな姿の人工物、きれいな心、これらに共通していることは、いずれも着飾っていない、ということです。決して背伸びをせず、といって、悪びれることもせず、純粋に、素直に、そのものの姿を自然に見せているように感じられます。つまり、自然そのものの姿が美しく、形そのものの姿が美しく、人間そのものの姿が美しい、というわけです。
人間に限って言うならば、本来の素直な心、本来の優しい心、本来の愛する心をそのまま表している人が「心がきれいな人」ということになりましょう。
花の姿や、自然の美しさを見るときに、ふと自分自身を思い起こしてみてください。自分も、人間そのものの、本来備わっている美しさが出ているだろうか。素直な心になっているだろうか。打算的で、計算ずくの生活になっていないだろうか。そんなことを思い起こしてみるのも、自然の美しさが特に溢れる、春ならのことではないかと思うのです。
メールマガジン『学級通信のネタ』のバックナンバーを再編集し、紹介してます。