メールマガジン『学級通信のネタ』バックナンバー
第179号
☆与える愛の実践を
人間は、本能のままに生きれば、欲ばかりの人生となるのです。「あれも欲しい、これも欲しい」と、物質的なことから精神的なことまで、欲しいものだらけです。
その中で、愛も欲しいと思うでしょう。「自分をいたわって欲しい。励まして欲しい。なぐさめて欲しい。愛して欲しい…」と、こうした感情です。
しかし、世の中すべての人が、こうして互いに、自分のないものを求めたらどうなるでしょうか。世の中に、愛が欲しいという人ばかりがあふれたら、どうなるでしょうか。
あちらこちらに愛を求める人間が大勢いて、いつでも、自分中心に、自分が欲しいもの(愛)を求めていたら、それは、おぞましい世界になると思うのです。
そうした世界は地獄です。自分中心にものごとを考え、自分はもらう一方の世界は、地獄なのです。地獄には、「人のために何かをしよう。親切にしよう」という人は一人もいません。
地獄の住人は、みんな自分勝手です。私が、私が…と自分のことしか考えません。
判断基準は、すべて自己中心的で、「自分がうまくいけばよい。自分が得られれば良い」、としか考えていないのです。
この地上を、地獄化しないためにも、私たちは、ときに自分というものを抑えて、他の人のことを考えなくてはいけません。
時々は、他の人の喜ぶこと、他の人が嬉しいと思うこと、他の人が幸せになることを気遣い、行ってあげるのです。
このように、相手のためを思って行う行為を『与える愛』と言います。
昔から、「困っている人がいたら助けてあげましょう」とか「人には親切にしましょう」という教えも、この『与える愛』です。
自分が与える側にいる人間であるか、与えられる人間であるかは、一日を振り返ってみれば分かります。
今日、自分が他の人から与えられたことと、今日、自分が他の人に与えたことをリストアップしてみて、与えられたことの方が多ければ、自分は与える側ではなく、
奪う側の立場にいることになります。このように一日を振り返ってみると、いかに普段から、自分は親や家族、社会、そして他の多くの人から与えられていることに気がつくでしょう。
あの世には天国と地獄という世界が厳然としてありますが、与えた側の立場の人間が天国行き、与えられる側の立場の人間が地獄に行くのです。
相手に心地よい思いをさせることも愛ですから、朝、笑顔で元気に挨拶をすることも、小さな『与える愛』の実践です。
お弁当を作ってくれたお母さんに、言葉は短くとも心を込めて、「ありがと…」と言って弁当を受け取ることだって、小さな『与える愛』です。
交差点で、自動車が止まってくれたとき、会釈をすることだって、小さな『与える愛』でしょうし、お店で買い物をしたときに、買った側が「ありがとうございます」と言うことだって、
『与える愛』です。これは、逆の立場になってみれば分かります。
自分は客だから、お金を払っているのだから…、と横柄な態度の客と、「いいものを売ってくれてありがとうございます」という感謝の気持ちが伝わってくる客と、
どちらが気分良く商売できますか。そういう気持ちの良いお客さんには、もっといいものを、もっと安く、そしてさらにサービスしよう、という気持ちにもなるでしょう。
そうすると、お客はまた来店してくれて、いい関係が築けるのではないでしょうか。
相手に不快感を与えないように気を遣うことも、『与える愛』です。感謝の気持ちを込めることも、笑顔で接することも、相手を思い、心を込めることもすべて『与える愛』です。
そう考えることができれば、『与える愛』の実践の場は、世の中に満ち満ちていると思いませんか。
さぁ、今日から、『与える愛』の実践をしてみましょう。そして、いつしかそれが当たり前の行為となり、『与える愛』であることを忘れるくらいになれば、なお良いのです。
メールマガジン『学級通信のネタ』のバックナンバーを再編集し、紹介してます。