教育講話記録 なぜ勉強するのか
『なぜ勉強するのか』ということをひと言で説明するとするならば、それは『自分を高めるため』です。
人間には、生まれながらにして「よくなりたい」、「向上したい」、「立派になりたい」という欲求があるのです。「堕落したい」、「悪くなりたい」、「落ち込みたい」などと積極的に思う人はいません。
もちろん、何か大きな悩み事や苦しみがあったときに、自暴自棄になって、一時期そうした感情になることはあるかも知れませんが、それは本来の姿ではありません。
ですから、勉強をするのは、自分を高めるためであるのです。
しかし、学校の勉強となると、どうも嫌悪感を抱く人もいるかも知れません。過去のいろいろな苦い思い出もあるでしょう。好きな教科、嫌いな教科、得意な教科、不得意な教科もあるでしょう。
それでもあえて言うならば、高校時代、あるいは中学時代に学んでいる知識は、君たち一人ひとりの教養を作っているのだ、ということを知って欲しいのです。
社会で、普段生活する中で、高校の学習内容が直接的に役に立つということは、とても少なくなっています。
しかし、あえてそうした少し程度の高い学問を学ぶ意味は、その知識が、教養となって君たちの土台をつくっているからなのです。
小さいときに、海辺や砂場で砂山を作った経験がある人も多いと思います。そのときに、できるだけ高い山を作り上げるには、富士山のように裾野の部分、土台の部分を大きくしないと、
すぐに壊れてしまったり、崩れてしまう、ということを経験的に学んでいると思います。
これと同じように、教養という土台は広ければ広いほど、自らが築いていく山は高く高くなっていくのです。そうした見方も忘れないでください。
それから、別の観点から言えば、このように学習できる環境にいる、ということは大変有り難いことなのだ、ということも知っておくべきです。
勉強したくてもできないという子供たちは、世界中たくさんの国にいます。内乱や戦争のために、平和の中で勉強することができない、という国もあります。
学校がミサイルで壊れてしまったり、いつ銃弾に倒れることになるか分からない状態でも、勉強しようと努力している人もいます。
また、金銭的な問題で、学校で勉強することができない人も大勢います。小学校を卒業している人は50%に満たない国もたくさんあります。
日本ではこのように、遙かに恵まれた中で勉強することができているのだということは、強く自覚しておいた方がいいと思います。
これからの高校生活で、いろいろな出来事が起こることでしょう。苦しいことも、悲しいこともあり、残念ながら楽しいことばかりではないと思います。
しかし、その中で、君たちは高校生活という一つの作品を仕上げて欲しいと思うのです。もちろん、高校生活は勉強ばかりではありません。
部活動に積極的に取り組むことも、その他のいろいろな活動に参加することもあります。友だちとの関係などなど、いろいろな経験を積みます。
このように高校生活は実に忙しいのです。でも、こうしたさまざまな経験を得られるのも、実は高校時代で終わりです。
社会に出てしまえば、仕事で忙しいことはあっても、全然分野の違ういろいろなことでの忙しさは、ほとんどなくなってしまいます。
それに、この忙しさ、与えられた時間内でいかにこなしてゆくか、ということ、タイムマネージメントとも言いますが、こうした時間管理について、体験を通して学ぶことができるのも高校時代です。
どうか、いろいろなことがあってもくじけないで、あと一歩、もう一歩と踏ん張ってください。全員そろって、進級し、全員そろって卒業しましょう。